2009年08月17日

人間万事・・・

海外に行ってワークショップをやるときに
必ずする話がある。

中国の故事で「人間万事塞翁が馬」という。

これはかなり外人に受ける。

ようはその人次第だよという話。

昔ある村に塞翁という老人がいた。
ある日塞翁さんが飼っていた馬が逃げ出してしまった。

村人は「残念でしたね」と言うと
塞翁さんは「いやいやそうではないかもしれないよ」

そしてしばらくするとその飼っていた馬が
山からたくさんの馬を引き連れて戻ってきた。

村人は「よかったですね」というと
塞翁さんは「いやいやそうでもないかもしれないよ」

その勇敢な馬に息子が乗っていたときに
息子は馬から落ちて足を怪我してしまった。

村人は「災難でしたね」というと
塞翁さんは「いやいやそうでもないかもしれないよ」

そして戦争が始まり村の若者たちは駆り出され
だれ一人帰ってこなかった。

足を怪我した息子だけが村に生き残った。

何が幸いするのかはその時その時の解釈次第。

鬱(うつ)のあの時があるから
強くなったのかもしれないし
そのおかげで未だに人の物事に
敏感なのかもしれない。

生きていることをいちいち考えてしまうことも
考えないように歩いている人も
悲しんでいる人は実はそんなに深く考えていないのかもしれないし
笑っている人の後ろには不幸と戦っている姿があるのかもしれない。


「いやいやそうではないかもしれないよ」


時を待つしかない時もある。

明けない夜はないし
止まない雨もない。


それでも鬱(うつ)でつらい時は
そっと自分で自分をなでてみよう。

利き腕の手のひらを反対側の手のひらでなでてみる。

カラダカラ試してみるべし。

そして扉を想像してなんとか開けてみるべし。

扉の開け方は次回ね。



posted by ZULU at 15:40| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

感じること

カラダカラ・・・

身体が先に感じて
脳が判断したり記憶したりする。

順番は身体のほうが先なのだ。

身体はアンテナであり
情報は五感を通じて脳みそに送られる。

およそ0.5秒。
音速に近い。

花火の風景と体感する音は少し誤差がある。
少しだけど確実に後から聞こえてくる・・・

それと同じことが身体と脳みその関係にはある。

つまり脳みその判断は
すでに過去なのである。

経験値に知らしめて
今どういう状況なのかを判断する。

てなわけで誤作動も起きる。
ここに不思議な誤差が生じるのである。

つまりその判断の反応が身体に現れる。

「昨日の夜何食べた?」
とか
「何の仕事しているんですか?」
とか

人は予測もしない質問に
眼をキョロキョロしたり
反応して身体をひねって
腕を組んだり・・・

どうして人は考えるときに
腕組みをするのか?

考えているからなのである。

身体が感じて
考える状況が先に来て
身体が反応して
腕組みをするのである。

常に意識するのは
身体のほうなのだ。

まずは身体を大事にしよう。
posted by ZULU at 08:44| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月07日

不幸拾い

なんだか不幸拾いが
気になる時がある。

不幸拾いとは要するに
コップの水が半分なときに
まだ半分と思うか
もう半分と思うかである。

不幸拾いに出会うと
こっちの耳にまで入ってくるので
そういう時はその場から立ち去り
頭の上から肩や腕の先まで
埃を払うようにして
ささっと見えぬ何かを払い
最後にパンっと柏手を打つ。

これだけでかなり気分が変わる。

自分で口にする言葉は
自分の耳にも聞こえていることに
早く気付くべきだ。

言葉には言霊がある。

使う言葉によって
寄ってくる言霊も違う。

「まだ」なのか「もう」なのか

選ぶことはできるのだ。

意識して言葉を使えば
新たな「気づき」に出会える。

大事に言葉を使うことは
とても大事なことなんだよ。

大切に大切に。

うんうん。

気づいたら払うんだよ。
ハラハラとハラハラと
そしてパン!

良い音がするまで叩いてみるといいよ。

そして手を洗って
シャキッと背筋を伸ばしてごらん。

もう不幸拾いはどこかに消えているから。

試してみてね。

posted by ZULU at 15:30| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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